S-Lab.inc
代表の思い

仕事も人生も楽しめる身体へ。
何度も未来を選び直してきた私が、
健康を通して届けたいこと。

これは、順風満帆に成功してきた人間の物語ではありません。何度もつまずき、立ち止まり、家族や仲間に支えられながら、そのたびにもう一度歩き始めてきた、一人の人間の物語です。

須賀田雅之 - Total Wellness Advisor

合同会社S-Lab.

代表 須賀田 雅之

Total Wellness Advisor 身体から未来を整えるコーチ

Total Wellness Advisorとは、食事・運動・休養など、生活習慣のすべてを一人の身体・一つの人生として総合的に捉え、心と身体の健康に伴走する専門資格です。日本トータルウェルネス協会(JTW)の考え方に基づき、知識を一方的に伝えるのではなく、その人の生き方に寄り添う支援を行います。

01

野山を駆け回った少年時代

私は、横浜市鶴見区の生麦で生まれました。幼稚園の年少の頃に横浜市栄区へ引っ越し、幼少期は友人たちと野山を駆け回って過ごしました。

小学4年生からは少年野球を始め、6年生のときには、約200チームが参加する横浜市大会で3位に入りました。

少年野球には、幼稚園からの親友がいました。徒競走では、いつも学年で1位、2位を争う仲でしたが、野球だけは、どうしても彼にかないませんでした。

中学校へ進学した私は、野球ではなくバスケットボール部を選びました。少年野球で親友という大きなライバルがいたからこそ、今振り返ると、彼とは違う場所で、自分自身の可能性を試してみたいという、少年なりの決断だったのかもしれません。

02 伴走の原点①

バスケットボールが、自分の居場所になった

中学3年生のときにはチームの中心選手となり、横浜市3位、神奈川県大会ベスト4という成績を収めました。もっと高いレベルでバスケットボールをしたいと考えた私は、当時、神奈川県を代表する強豪校の一つだった県立松陽高校へ進学しました。

当時のバスケットボール部では、先輩たちから「エンジョイ・バスケット」と教えられました。厳しい練習の中でも、バスケットボールを楽しむこと。仲間とともに、誇りを持って格好よくプレーすること。この言葉は、後に指導者となった私の中にも、深く残り続けることになります。

高校3年生のときには、1987年の北海道インターハイに出場しました。ただし、私はスターティングメンバーではありませんでした。試合の流れを変えるスーパーサブとして、ベンチから出番を待つ立場でした。

試合に出て活躍する選手。ベンチで出番を待つ選手。
努力しても、なかなか結果が出ない選手。
高校時代にスタメンになれなかった悔しさがあったからこそ、
後に私は、思うように結果が出ない人の気持ちにも寄り添えるようになったのだと思います。
03 伴走の原点②

選手の可能性を、最後まで信じる

浪人生活を経て受験に臨みましたが、志望していた大学はすべて不合格。日本体育大学へ進学することになりました。ところが、その進学が、その後の私の人生を大きく変えることになります。運動能力を評価され、授業料免除の特待生として学ぶことができました。そして大学入学と同時に、母校である横浜市立庄戸中学校のバスケットボール部の指導に関わるようになったのです。

大学の4年間、この庄戸中学校女子バスケットボール部の指導を続けました。そして、チーム史上初となる神奈川県大会出場を果たし、結果はベスト8。指導者としての手応えを、初めて実感した4年間でした。

大学卒業と同時に、当時の湘南女子高等学校(現・湘南学院高等学校)のバスケットボール部を任せていただくことになりました。勝てない時期が続き、保護者の方から辞任を求められたこともあります。それでも、私は指導から逃げませんでした。

私は、ただ練習量を増やすのではなく、ミーティングやビデオ分析にも時間をかけました。なぜ、この練習を行うのか。なぜ、この場面では、この動きが必要なのか。自分のプレーを客観的に見て、自分の言葉で説明できるようにする。一人ひとりと向き合うため、選手との交換日記も行いました。

身体を動かすだけでは、人は本当の意味では成長しません。
自分で考え、自分で気づき、自分の意志で行動できるようになったとき、人は大きく変わります。

指導を始めて3年後、選手たちは快進撃を続け、ついにインターハイへの出場を果たしました。指導者が選手を育てたというよりも、選手たちと一緒に、私自身も指導者として育ててもらったのだと思います。

04 伴走の原点③

日本一を続けるチームで学んだ、回復の大切さ

その後、私は女子バスケットボールの実業団トップチーム、シャンソン化粧品でコーチを務めました。そこには、日本代表として世界と戦う選手や、長く第一線で活躍し続けてきたスター選手たちがいました。

強い選手だから、身体も常に万全なのではありません。むしろ、長く活躍してきた選手ほど、身体には疲労や痛みが蓄積しています。だからこそ、トップアスリートになればなるほど、練習だけではなく、どう回復するか、どのように休養を取るかを、とても大切にしていました。

さらに、専門のメンタルトレーナーが定期的にチームを訪れ、選手への講義や、一人ひとりとのカウンセリングを行っていました。試合に出続ける責任。結果を求められる重圧。トップ選手ほど、身体だけではなく、心にも大きな負荷がかかっています。

身体を休ませること。心の緊張を緩めること。
そして、もう一度、自分らしい状態へ戻ること。
それもまた、大切なトレーニングなのです。
05

バスケットボールを離れ、飲食の世界へ

30歳を目前にした頃、私は、バスケットボールの指導者として生活を続けていくことに不安を感じるようになりました。約12年間、バスケットボールを中心に生きてきました。自ら全国大会に出場し、指導したチームをインターハイに導き、日本一のチームに関わることもできた。しかし、将来の生活を考えたとき、このままでよいのだろうかという思いが消えませんでした。

悩んだ末、私はコーチの仕事を離れる決断をしました。飲食業界では、店長、マネージャー、統括マネージャー、スーパーバイザーとして、さまざまな店舗と組織の運営に携わりました。売上全国1位、生産性全国1位、約50店舗の新規出店における研修や営業指導。これまでに関わり、指導してきた社員やアルバイトスタッフは、1000人を超えます。

けれど、店舗の成果をつくるのは、数字やマニュアルだけではありません。私は、スタッフ一人ひとりとの面談を重ねました。答えを一方的に教えるのではなく、できる限り本人の言葉で考えてもらうようにしました。

バスケットボールと飲食。一見すると、まったく違う仕事に見えます。
しかし、私がしていたことは、どちらも同じでした。
人の可能性を信じる。本人の考えを引き出す。目標を共有する。
そして、成果が出るまで伴走する。
06

家族を持ち、人生の意味が変わった

38歳のときに結婚し、息子の空舞(つばさ)、娘の渚(なぎさ)、二人の子どもに恵まれました。子どもたちが生まれ、成長していく姿を見る中で、人生に対する考え方は大きく変わっていきました。

健康とは、自分一人だけの問題ではない。
自分が元気でいることは、大切な人と過ごす時間を守り続けることでもある。
そう考えるようになりました。

しかし、家族との生活が始まった一方で、仕事では大きな変化が続きました。勤務していた会社の事業方針が変わり退職、その後の約10年間は転職を繰り返すことになりました。それでも、毎日家に帰ると、子どもたちは成長していました。空舞と渚の笑顔、何気ない会話。それが、私にとって何よりの喜びであり、支えでした。

07

独立。そして、人生で最も厳しい時期へ

新型コロナウイルスの感染拡大によって会社が早期退職を募ったタイミングで、私は独立を決意しました。2020年末、デリバリー専門のゴーストレストランを開業。コロナ禍では売上も順調に伸び、「独立は成功した」そう思っていました。

しかし、緊急事態宣言が解除され、日常が戻り始めると、売上は大きく落ち込みました。税金の支払いができない。住宅ローンが遅れる。預金や保険も差し押さえの対象になりました。夜、布団に入っても眠れない。家族を守るはずだった自分が、家族を苦しめている。生きる意味さえ、見失いかけた夜もありました。

人には、正論より先に必要なものがあります。
自分の苦しさを受け止めてくれる人。
もう一度立ち上がるまで、そばにいてくれる人。
そして、自分が自分を信じられなくなったときにも、
自分の可能性を信じてくれる人です。
08

高校生だった空舞が、店に立ってくれた一年

そんな状況の中、私は高校1年生になった空舞に、店の本当の状況を話しました。父親として、息子に助けを求める。簡単なことではありませんでした。けれど空舞は、私の話を受け止め、店を手伝ってくれるようになりました。

土日は、オープンから閉店まで。雨の日も、冬の寒い日も。約1年間、調理や配達をしながら、店を支えてくれました。空舞の支えと、フランチャイズ本部による経営改善への取り組みもあり、売上と収益は少しずつ回復していきました。そして約1年半後、抱えていた借金をすべて完済することができました。

自分は、一人で立ち直ったのではない。
子どもは、親が守るだけの存在ではありませんでした。
私は空舞に支えられ、父親としても、人としても、
もう一度立ち上がらせてもらったのです。
09 S-Lab.誕生の決意

将来不安を、将来期待へ変えたい

借金を完済した後も、経営環境がすべて好転したわけではありません。原材料価格の上昇、人件費の高騰、人手不足。逆風の理由を探せば、いくらでも見つかります。しかし、外の状況が変わるのを待ち続けていても、自分の人生は変わりません。

私は、将来不安を、将来期待へ変えたいと考えるようになりました。本来、私は何をしているときに、生きがいや喜びを感じるのか。自分自身に問い直しました。そこで改めて気づいたのです。私が本当に好きだったのは、人が変わる瞬間でした。

選手や学生を指導した経験。学校の先生方から学んだこと。飲食の現場で、社員やアルバイト、店長、経営者と向き合ってきた経験。すべてが一本の線でつながっていました。

そして2025年5月2日、私は合同会社S-Lab.を設立しました。健康を通して、人がもう一度自分の未来に期待できるようになる。そのための場所をつくりたい。そんな思いで、新しい一歩を踏み出しました。

10

設立から27日後に訪れた、大切な友人との別れ

合同会社S-Lab.を設立してから、わずか27日後。2025年5月29日、高校時代、同じバスケットボール部でエースを務め、チームを率いたキャプテンでもあった大切な友人が、この世を去りました。卒業後も関係は続き、亡くなる数か月前まで、昔話をしながら一緒に酒を酌み交わしていた仲間でした。

いつでもまた会える。また笑顔で語り合える。まだ時間はある。
何の疑いもなく、そう思っていました。

だからこそ、その別れは、命には限りがあること、そして大切な人と過ごせる時間も決して永遠ではないことを、私に強く突きつけました。合同会社S-Lab.は、彼の死をきっかけに設立した会社ではありません。しかし、設立直後に経験した彼との別れは、私が健康という仕事を通して、本当に何を届けたいのかを、さらに深く考える出来事になりました。

健康情報を伝えたいのではない。単に体重を減らす方法を教えたいのでもない。人が健康を失うことで失われるかもしれない、家族と食卓を囲む時間。友人と酒を酌み交わし、笑顔で語り合う時間。好きな場所へ、自分の足で出かける時間。大切な人に、伝えたい言葉を伝える時間。そのかけがえのない時間を、少しでも長く守りたい。

11

健康を取り戻すために、最初に始めたこと

友人を亡くした後、私が強く思ったのは、「もう一度、健康な身体を取り戻したい」ということでした。当時の私は、身長170cm、体重87kg。階段を上れば息が切れ、目の前の信号が点滅しても、走ることをためらうような状態でした。

私は、ただ痩せたいと思ったわけではありません。これからも元気に働き、家族と過ごし、自分の足で人生を楽しめる身体を取り戻したかったのです。そこで、手頃な価格の体組成計を購入し、毎朝乗るようにしました。時計型のウェアラブル端末も購入し、スマートフォンと連動させました。

数字は、自分を責めるためのものではない。
自分の現在地を知り、未来への一歩を選ぶためのもの。

私はウォーキングを始め、食事では白米やパン、砂糖を多く含む甘い飲み物を控えるようにしました。12時間以上の間欠的ファスティングにも取り組みました。調べる。試してみる。記録する。身体の反応を見ながら、また学び直す。私の健康づくりは、その繰り返しから始まりました。

12

頑張りすぎて、歩けなくなった

私は、一度やると決めると、徹底的に取り組む性格です。健康を取り戻したいという思いから始めたウォーキングにも、夢中になって取り組みました。しかし、身体の状態を十分に見ながら進めることができず、やがて膝を痛めてしまいました。整形外科に通い、痛み止めを処方してもらい、約2か月間、ウォーキングさえできない時期がありました。

けれど、この時間があったからこそ、私は健康と運動について、もう一度学び直すことになりました。有酸素運動だけが方法ではなく、筋力トレーニングも、体脂肪を減らし、筋肉を守り、動ける身体をつくるうえで重要であることを知りました。

歩けないから、何もできないのではない。
今の身体にできる方法を探し、やり方を変えながら続ければいい。
続けるためには、頑張る力だけでなく、立ち止まる判断も必要なのです。
13 当事者としての証明

87kgから73kgへ。変わったのは体重だけではない

食事を見直す。身体を動かす。筋肉を育てる。必要なときには休む。その積み重ねによって、体重は87kgから73kgへ。14kg、体重を整えることができました。現在は72kg台です。そして今では、20kmのウォーキング&ランニングができる身体になりました。

87kg → 73kg体重の変化
20km歩ける・走れる距離
25身体を過信していた期間

階段を上るだけで息が切れ、点滅する信号にも走れなかった私が、20kmを自分の足で進めるようになった。この変化は、体重計の数字だけでは表せません。身体が軽くなる。以前より動けるようになる。着たい服を、もう一度選べるようになる。鏡に映る自分を、少し前向きに見られるようになる。

けれど、一番変わったのは、心、気持ちです。朝の目覚めがすっきりし、気持ちがいいから、身体が動く。前向きに仕事に取り組め、周りにも自然と笑顔が広がるようになりました。

これからの人生にも、まだできることがある。
身体を取り戻すことは、単に体重が減ることではありません。
自分の未来に、もう一度期待できるようになることなのだと思います。
これから

50代からでも、身体は変えられる。
そして、未来も変えていける。

これは、私自身の身体で確かめてきたことです。ここまで頑張ってきた身体を責める必要はありません。今日から、もう一度、自分の未来を選び直すことができます。

健康とは、自分の未来を、もう一度信じるための土台です。

ご利用にあたって

本ページで紹介する体重・体調の変化は、須賀田雅之個人の経験に基づくものであり、効果を保証するものではありません。健康状態には個人差があります。治療中の疾患がある方、服薬中の方は、必要に応じて医師などの医療専門職へご相談ください。